東京出張の翌日、年休をとり甲府、塩尻を通って中央本線で名古屋まで行くルートで大阪に帰ることにしました。甲府に行くのは実に16年ぶり。就職して最初に配属された事業の工場が甲府にあり、新入社員のころ3カ月弱、研修で滞在していました。この事業では、20代にアメリカ、30代にシンガポールに赴任する経験をし、仕事の基礎を身に付けたありがたい事業でした。2008年に社内異動で、本社の仕事に移り、今回はそれ以来の再訪でした。
朝7時ちょうど発の「あずさ1号」を新宿から乗り、一路甲府へ。甲府からバスで武田神社。戦国時代、武田信玄が本拠としていた旧躑躅ヶ崎館を目指しましたが、バスがちょうど出発した後。仕方なく、タクシーで向かいました。駅から一本道を北に行くだけなので、歩いても良かったのですが、その日は、他にも訪問予定があったため、先を急ぐことにしました。
武田神社に着くと、旧館を取り巻く堀があります。堀の幅は狭く、鉄砲を想定している作りにはなっていません。普段、職場のビルから大阪城が見えるのですが、鉄砲の攻撃を想定した圧倒的に巨大な堀に比べ、少し心もとない堀の作りです。この堀の幅の違いの話は、日本文化を伝えるの仕事の中で、城を説明する際に、鉄砲が入ってきてから城のつくりに影響があった例として、躑躅ヶ崎館跡の堀の写真と、大阪城の堀の写真を比較して説明していました。そこは、人は石垣という信玄なりの思想で、防御していたのだと思います。
神社の境内に入っていくと、既に戦国の館の趣はなく、いたって普通の神社があるだけです。それだけの見学だともったいないので、境内の周囲を巡りながら、堀や土塁のそばを歩きました。かつて、甲府には仕事で良く来たのですが、信玄の残した痕跡に触れるのは初めてでした。10時に開館予定の宝物殿も、若干早めに開けてもらい、見学しました。土塁から、甲府盆地を囲む山々を眺めながら、信玄の最後の遠征で、本当に京を目指したのかなと思いました。山に囲まれていると、なかなか外に出ていこういう気持ちがしないんじゃないかなと、感じました。
御城印と御朱印