20代に米国赴任を終えて帰国した頃、やはり日本の歴史文化について知識・体験を増やさないといけないと、心底感じていた時に、京都、奈良を訪問するだけでなく、大阪から遠い赤穂にまで来たことがありました。その時は、赤穂浪士についての乏しい知識しかなく、なんとなく大石神社や赤穂城を見てまわっただけです。
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今回は、もう少し下準備をして臨みました。赤穂城は日本100名城に選ばれる名城であり、なんと言っても、赤穂浪士たちがお城勤をしていたお城です。江戸での仇討ちはよく知られていますが、その赤穂浪士たちが穏やかに生活を送っていたのが、この赤穂です。今も、のどかな雰囲気が残っています。当時はもっとゆったりとした時間が流れていたのでしょう。
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お城は、常陸笠間から入封した浅野長直が、慶安元年(1648)から改修を開始し、近世城郭として整備されたそうです。千種川の三角州上に築かれており、海を背にした海城でもありました。縄張は甲州流と山鹿流を取り入れたと伝わっています。やはり、山鹿流なんですね。私も駅からお城に向かって歩いて行くと、最初に昭和に再建された三之丸隅櫓が見えてきます。この櫓は、よくドラマ忠臣蔵の中で登場するので、ご記憶の方も多いと思います。橋で堀を越えて城内に入っても特に何もないので、一旦出て、さらに奥に行くことにしました。
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しばらく歩くと、平成に入って復元された本丸門が見えてきました。これは立派です。石垣も再建だけに、流石に新しいです。門をくぐると、左手奥に天守台があります。石垣だけで天守はありませんが、登ってみました。ここからは城内が一望できます。と言っても建造物は少なく、お庭が造成されています。今、色々と再整備が行われているので、しばらく間を開けて訪れると、新しい発見があるかも知れません。(終)森田達也
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御城印
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