とある年の秋の日曜日、翌日朝から東京での会議に出席するため、休日移動で東京に来ておく必要がありました。折角なので、途中下車して小田原城に立ち寄りました。新幹線の上り列車では、毎回必ず小田原駅を通過後にアナウンスがあり、定刻通りに通過して新横浜駅まで何分と言われますが、その時には既に小田原城を超えているので、車上から小田原城を見たことはありませんでした。
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名古屋でのぞみから乗り換えて、今回初めて小田原駅で降りました。駅を出るといきなり北条早雲公の銅像が猛々しく出迎えてくれました。駅からお城までは近いと聞いていたので、徒歩で移動します。案内の通り歩いて行くと天守が見えてきました。当日は、何かのお祭りをしていたようで、お神輿が複数あり、騒がしい雰囲気でした。
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早速天守に登ってみる事にしました。お城は再建のため、歴史を知る展示が内部でなされています。天守から周りの景色を一望できます。西側の山の方を見ると、そこには豊臣方が一夜城を築いた丘が見えます。見た感じ非常に近い距離に感じました。あんあなところに一夜にして石垣のある城郭があわられると、小田原方の兵や籠城していた人々の士気が一瞬で衰えたこともわかるような気がしました。それほど、近いと思われます。
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また、南側には雄大な太平洋が広がっており、戦がなければ穏やかな開放感のある場所だなと感じます。北条討伐の際、なかなか結論を出せない北条方を揶揄して、小田原評定という言葉が残りましたが、成り上がりの秀吉を見下す考え方が強かったのかなとも思えます。城を取り囲むように10万以上の兵を動員できる秀吉を過小評価していたでしょうし、今まで誰も籠城を破ることができなかった小田原城を過信しすぎていたようにも思えます。
全て、今は昔の話ですが、戦国時代を終わらせる天下統一の戦ですから、相当の覚悟で秀吉軍が来ていることをもっと自覚できなかったのかと疑問が浮かびました。(終)森田達也
御城印
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